マゾッホとサド (晶文社クラシックス)
マゾッホとサド (晶文社クラシックス) / 感想・レビュー
シッダ@涅槃
【読了】サドとマゾは非対称であること哲学的、文学的、精神分析学的にあきらかにしようとした書物★まず、思考の大胆さに驚かされるところがある。マゾの対象とする3つの女性というのが出てくるのだが、一つは男性は精子提供者にすぎないという「子宮的女性」、二つ目は父権的に懲罰を下す「エディプス的女性」、そしてもうひとつが「単性生殖的な口唇的女性」である。3つ目は通常に考えて現実に存在しないものである(人間外?)。しかし、本書の説明によると、3つ目の女性はひとつめの女性と2つめの女性の「振り子の往復運動→
2017/11/08
Z
に二次的な価値を戻すことであり、サドは悪を上位におきそれを体現する自己の法意識に従い、サディズムの描写を重ねていく方法で、マゾッホの方法はユーモアと呼ばれ法に従い逆説的な帰結へと向かう方法で快楽を得るという。精神分析との繋がりでいえばサドはサディズムの対象が自我の役割を演じ自己は超自我=父に同一化する構造で、マゾッホは自己は自我の役割で女性を超自我に置くという構造があるというのだが、法と精神分析の構造との論理的な繋がりがよくわからなかった。精神分析の使い方が我流すぎる気がする。『差異と反復』でも読んでいつ
2018/10/05
Z
ドゥルーズの文学題材にした著作はよくわからない。フロイトによればマゾヒズムは人間がもつ攻撃性が自己に向かったものと定義される。ドゥルーズはより進んでマゾヒズム、サディズムを定義付ける。法と父母、自我ー超自我ーエスの構造がキーワード。法に関していえば、古典的と呼ばれるプラトンの法は善のイデアがあり法はそれを体現する二次的なものであるのだが、カントにおいて法はそれ自体自律しており善が法に依存するものとして位階が転倒された。マゾッホとサドの作品はそれに対する反動としてあるとする。サドの方法はイロニーと呼ばれ、法
2018/10/05
hitotoseno
サド的登場人物はあらゆる法を破壊し、イロニーでもって法の上位にあるものを指し示す。マゾッホ的登場人物は法を逆手に取りつつ、ユーモアでもって法を拝跪する人間の頭へと引きずり落とす。あるいはこうも言えるか、サドはこれではない、これだ!と飛躍して語る隠喩的な言説を用いる(さしあたり男根のメタファーならぬ男根のごときメタファーといったところか)。マゾッホはこれではない、これではない、じゃあ、なんだ?と迂回的に換喩的に語る。ドゥルーズにしては至って真っ当に記した文芸批評を卓越した散文家が流麗に翻訳する佳作。
2016/04/08
有沢翔治@文芸同人誌配布中
ジル・ドゥルーズはフェリックス・ガタリと一緒に『アンチ・オイディプス』を書きました。カントやニーチェ、ライプニッツ、ヒュームなどの解説書(というか解釈書)を発表しています。現代思想の中では精神分析の概念を使った文学(プルーストやカフカなど)を読み解いていきます。https://shoji-arisawa.blog.jp/archives/51124851.html
2010/10/12
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