さよなら僕の夏
さよなら僕の夏 / 感想・レビュー
ヴェネツィア
この小説には確固たるプロットというものはない。もちろん、ダグラスを中心とした男の子たちの世界と、また一方にはクォ-ターメインたちの老人の世界があり、これらが交錯するところに物語が生まれるのであるが。彼らは共に"未だ"そして片や"既に"生産からは阻害された存在である。戦い、あるいは軍隊的なものへの憧憬と、追憶という点では鏡像関係にあるかもしれない。また、やみくもな"動"と"静かな英知"というそれぞれのあり方においても。ここは、トムの言う「最後の日がけっしてこない一度の休み」の煌めく散文詩のような世界だった。
2020/11/23
ケイ
少年を突き動かすもの、嫌なこと。戦おうとし、学校を嫌い、去りゆく夏を認めようとしない。老人達は不気味だ。あの老婆は若い娘だったことはないと認めさせろ!車椅子の爺さんは攻撃するかい? 権力と見栄だらけの老人。彼らは少年たちの敵になるか、あるいは味方か。ブラッドベリがこの小説では無視される年代の頃の作品。老人は伝える「一方の足をもう一方の前に出す、それは良いこと。たとえそれが死を意味する時でも。何事も前進するものは勝つ」 兄弟は言う「夏はおしまいだ、秋がやってきた。ハロウィーンだ。そうだ、それを考えるんだ!」
2018/10/12
MICK KICHI
男子の成長とは昆虫のように成人から老人という心体ともに変態を遂げる事では無く、少年を心の内に内包しながら発達する事である。成長を拒否する少年は時の彼方の象徴、老人達との触れ合いの中で葛藤する。 時計(時間)、チェスの駒(規範)、女の子(性)がイメージとして散りばめられ少年が忌避するべきものとして登場する。作者が55年前に書いた「たんぽぽのお酒」の続編は、少年期を夏に準え、その終わりを描く。原題Farewell Summerは遅咲きのアスター。たんぽぽの黄色とアスターの赤、色の対比も美しい。
2018/08/22
(C17H26O4)
いつまでも子どもでいたくともそれは叶わない。時計は止まらない。季節は過ぎる。少年は大人になっていく。目覚めは突然やってきた。『たんぽぽのお酒』の続編。あのとき12才だったダグラスは14才。「おかえり、ダグラス」また君に会えた。でも次の夏、同じダグラスはもういないのだ。少年時代との別れ。夏の別れ。束の間だけれどまた君に会えて嬉しかった。この訳文で読めたことも。あの夏のたんぽぽの色が放つきらめく光を懐かしく思いながら読み終えた。
2022/10/12
榊原 香織
ダグラス、久しぶり お気に入りの”たんぽぽのお酒”に続編が出たのは知ってたけど。 元々後半部として書いたのを書き足して55年後に発表、だから話は1年後の設定。少年はこれから思春期に入っていくのでしょう
2023/05/06
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