あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる
あわいゆくころ──陸前高田、震災後を生きる / 感想・レビュー
百太
東日本大震災から長期間関わっている人達の言葉は、 そうだったなや、そうだろうなと、つくづく思います。 私も何度か陸前高田に伺い描かれている風景を見ています。
2021/06/15
松村 訓明(まつむら のりあき)
東日本大震災の被災地である陸前高田に住むこととなった筆者が、ツイッターに投稿した内容を紡いだ本です。7年間に亘り、現地で発したツイッターを読んでいると自分自身も現地にいて、現地の空気を吸っているような感覚に襲われました。現地にいることで見える風景があると思っています。私はこの本を読みながら「復興」とは何だろうと考えました。読み終わったとき「復興」とは、道路、建物を作るということだけではなく、その地に暮らす人々の気持ちが立つ、気持ちが前向きになっていることが「復興」という意味なのではないかと思いました。
2020/01/13
coldsurgeon
東日本大震災発災から7年間を綴った日記文学。発災直後の被災の痕跡と現在とが視覚的に交じり合う「あわいの時間」が陸前高田にあった。著者が生活の場をそこに移し、その場所を五感で見続けたのである。なぜ陸前高田であったか。それは津波があまりにも生活の場を奪いすぎたから、そして復興といいう現代土木技術が、さらに生活の場を覆いつくしたからだろう。風景は、地形と風土と人の暮らしが協働して編まれるものと思うが、災害と現代巨大土木技術の前には、そんな考えは無力だった。心に気編み込みたい物語。
2019/04/18
Daimon
ぼくらは誰も知らない他人の経験を語れるのだろうか。語れるというより、語らなければならないという意志に近い。「ゼロからのまちづくりだの、真っ白なキャンバスだの、そんならここに住む理由がないよ。あのまちの続きだから、ここに住む意味があるのさ」(p.287)。「二重のまち」としてのまちー「まちを見下ろす高台から新しいまちの灯りを見たときに、「もう、これをうれしいと思ってもいいよね」と亡き人を思い浮かべながら胸をなでおろしたのだと教えてくれた」(p.338)。傍らに身を寄せつつかろやかに離れ、埃を被らないように。
2019/02/05
鎌倉 幸子
2011年から2017年の記録。その時々に流れる町と人、人と人との間に流れる空気感のようなものが、読みながら感じました。2011年4月2日に宮城県気仙沼市に入り、4日に陸前高田市に入ってから、約4年間、出張ベースで入っていました。あれから8年がたち、いまだからこそもう一度訪れたいと思い、手にした一冊です。
2023/08/13
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