大火砕流に消ゆ: 雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫 え 104)
大火砕流に消ゆ: 雲仙普賢岳・報道陣20名の死が遺したもの (新風舎文庫 え 104) / 感想・レビュー
田氏
火山について学び始めてからというもの、普賢岳の災害についてマスコミを糾弾する声を目にしてきた。確かに彼らは火山について無知だった。しかしそれを非難する側も、マスコミの内情、経緯については多くを知らないはずだ。そして何より、我々部外者はそのどちらについても無知なのだ。無知が罪なのであれば、全ての人が断罪されるべきであろう。ゆえに、知ろうとせねばならない。反駁と止揚を繰り返さなければいけない。本書はジャーナリストの立場から論じてこそいるが、善悪二元論ではないものさしで考えるための材料は十分に与えてくれている。
2018/06/13
sasha
大火砕流発生当時、多くの犠牲者が出たのかマスコミに原因があるとのバッシングが巻き起こった。そんな批判は今でもあるようで、この事故に対するネットの論調は「マスゴミのせい」というのが圧倒的に多い。だが、それだけで済ませていいんだろうか。あの時、火砕流に飲み込まれた報道関係者は火砕流に対して正しい知識を持っていたのだろうか。普賢岳の噴火取材の過程で、自然の脅威に対して鈍感になっていやしなかっただろうか。報道と安全というジレンマのなかで、危険地帯には近寄らずという対策だけで済ませていいのか。難しいよね。
2016/04/09
お昼寝ニャンコ
マスコミ関係者を中心に多大な犠牲者を出した雲仙普賢岳大火砕流事故の記録。過熱する報道合戦の是非も問われた事故。その結果、地元の消防団他も巻き添えで甚大な被害を出した。よりショッキングな映像を取ろうと白熱するジャーナリスト達と、彼らに付添う消防や警察官。そんな彼らの命を奪ったのは、迫力ある映像を望む、私達視聴者ではなかったか。オウム取材の江川氏の名著。実際雲仙の資料館へ行くと、一瞬の自然の威力に驚かされる。人はいかなる時も自然への畏怖を忘れてはいけないのだと多くの命の重みと引き換えに思う。
Ikuto Nagura
「まるで原爆が落ちたような光景だった」大火砕流の翌日、救援作戦を担った自衛隊員はそう語っている。そんな光景を私も見たかった。それだけじゃない、火山が、地震が、津波が、豪雨が、戦争が、目の前に襲いかかったら、どんな光景が広がるかを、私たちは見たいのだ。普賢岳の惨事は、取材合戦の過熱による人災だと言われることがある。しかし、その取材合戦を要求しているのは、間違いなく私たちだ。だから、マスコミの責任を追及する資格は私たちにない。どんな状況になろうとも、私たちの見たいものを取材する役割を捨ててもらっては困る。
2014/12/03
うたまる
「もし、大噴火でも起きて逃げなきゃならん時、報道の車がじゃまだ。俺たちを殺す気か」……雲仙普賢岳の火砕流事故で振り返る報道の在り方。危険な場所での取材活動が難しいのは分かる。身の安全と使命感との葛藤とかね。しかし、本書が垣間見せたものはそんな高尚なものではなかった。低劣な取材モラル、スクープ乞食、住民を置き去りにした現場逃走、卑怯な告げ口報道。正直言ってジャーナリズム論を云々するのは百年早い。また著者については、メディア批判した勇気は買うが提言は噴飯ものだ。まるで「全知全能の神になれ」って言ってるみたい。
2018/04/25
感想・レビューをもっと見る