批評とポスト・モダン (福武文庫 か 601)
批評とポスト・モダン (福武文庫 か 601) / 感想・レビュー
なっぢ@断捨離実行中
ベネッセが事業撤退してしまったため現在は絶版。ニューアカ全盛期に書かれた表題作は柄谷版『様々なる意匠』として有名(確か東浩紀が最高傑作にあげてた気がする)。日本中が浮かれきっていた時代にも関わらず本書に漂うトーンは恐ろしく暗い。巻末で島田雅彦が当時の氏の状況を過不足なく解説しているので興味をもった人はここから読むといいだろう。
2016/12/30
ミスター
このテキストは本当に素晴らしい。柄谷の可能性に満ちている。なぜ可能性に満ちているのか。それはこのテキストが「いかがわしい」テキストであり、「懐疑的に語られた夢」だからである。懐疑的に語られた夢とは何か。それは知的大衆には受け入れがたい「視霊者の夢」を懐疑的に語る批評の在り方である。この「批判」にはない不安定な場所こそ批評の場所に他ならない。カントの批判哲学は実践理性と純粋理性を分けることによって安定した場所を獲得した。しかし安定した場所に批評の場所はない。あくまでいかがわしい場所、それが批評の場所である。
2019/07/21
toshiyk
柄谷に転んだ本。あちこちからかっぱらったであろう題材の奥に、なんか暗ーいけど澱みはない視線を感じるんだよな。『ポール・ド・マンの死』という暗ーい文章を読んでると、この人は多分小説も書けたんだろうなあと。今のところ書いていないかな。師匠筋らしいポール・ド・マンの死に際してド・マン夫人が夫を称して言ったという「代々の無神論者」が「呪われた一族」のように聞こえた、という感受性が柄谷の魅力ですね
2013/02/03
柄谷行人がオカルトにはまっているのが面白かった。というか、ゲーデルの「不完全性定理」つまり「形式」を極限まで至らしめれば形式それ自体が自壊するという方法論それ自体、神秘的な体験としか言いようがないもので、結局のところ、そういう「異界」やオカルト的なものを収束せざるを得ない。ある意味では「存在論」的問題系は、袋小路にはまり込んでいるとしか言えないわけで。この隘路それ自体を破壊するものとして「倫理的」な「他者」が導入されるのが翌年刊行されることになる『探求』だったのも頷ける。
2023/01/10
ヤマニシ
「≪批評≫は、方法や理論ではなく、一つのシステム(言説空間)に属すると同時に属さない、矛盾にみちた危うい在り方のようなものだ、といってもいい。」(p20)
2020/12/27
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