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ラッセンとは何だったのか?  消費とアートを越えた「先」

ラッセンとは何だったのか?  消費とアートを越えた「先」

ラッセンとは何だったのか?  消費とアートを越えた「先」

作家
斎藤環
北澤 憲昭
大野左紀子
千葉雅也
大山エンリコイサム
上田 和彦
星野太
中ザワヒデキ
暮沢剛巳
土屋誠一
河原 啓子
加島卓
櫻井 拓
石岡良治
原田 裕規
出版社
フィルムアート社
発売日
2013-06-26
ISBN
9784845913145
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ラッセンとは何だったのか?  消費とアートを越えた「先」 / 感想・レビュー

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harass

2012年に編者が企画した展示会から作られた論集。90年台絵画商法で有名なプロサーファーでもある画家は美術界から徹底的に無視されていた。なぜ恥部のように目をそらされ続けたのか、彼の作品そのものの評価などが論じられる。個人的にこの本を知ったのは論者の一人斎藤環が他の本で語っていたからだ。「ヤンキー的」存在であり、美術界の意味合いなど知的好奇心がくすぐられる良い本だ。まあ中途半端に感じるところ論文もあるが。これまで批評といえば文学批評ばかりと思っていたが絵画批評もなかなかおもしろく感じた。入手難だが良書。

2016/07/24

Koning

エウリアンで悪名を轟かせてしまったラッセン。インテリアアートとして一段下に見ているとか、現代アート(コンテンポラリのあれこれとの境界はどこ?)とか、そういう疑問を持ちつつ喉元にひっかかった魚の小骨的な(人によってはトラウマそのもの)としてのラッセン(ヤマガタなんかはちょっとはずれるらしい)の論集。日展にコンテンポラリというこれまたジャンルの違う2種類の作品とラッセンを並べて展示する展覧会から始まって村上とかあの辺はどうなのよ?東山魁夷とか平山郁夫との違いってどんだけあるの?ってな話(続く

2014/03/16

かやは

​美術を愛する人々に、このような本を一冊書かせる「ざわめき」を、ラッセンは持っているということがよくわかった。ラッセン作品のような「社交上手」さは、自身を振り絞って作品を生み出す人からしたら腹立たしいのだろうか。わかりやすくて「ベタ」だからこそ、大衆に簡単に受け入れられている。ベタなものには、心理ではなく、生理で反応しているから、論理的には否定できない。ただ、生理に直接訴えかけてくるものは、俗っぽくて、幼い。心理で理解し、生理へ作用していくものこそが、真の感動を呼び起こし、永く愛されるのだと思う。

2016/06/29

ふろんた2.0

ラッセンの作品に対して湧き上がるある種の嫌悪感がなんなのかを説く。ヤンキー的な下品さとわかりやすいものにハマりやすいというのが共感できる。全てを理解したわけではないが、音楽でもカラオケで歌える曲が人気だったり、最近のヒットチャート上位の曲を冷めた目で見るのと同じことだろう。そういえば、ラッセンもヒロ・ヤマガタもディズニーキャラクターを作品の中に入れているね。ということでディズニーも。。。

2019/04/13

Kenji Iwata

私はいいと思わないけど、ラッセンならいいんじゃない? 当たり障りないし……的な感慨に耽る。104ページ「しかし、ラッセンの絵がダメであるとして、ならばそれに比べて同じくらい日本人に愛されているであろう東山魁夷や平山郁夫らの絵が圧倒的に優れているのかと言えば、僕は首を過傾げざるを得ないのだ。むしろ技法的な平板さやモチーフの平凡さ、徹底した自己模倣ぶりなど、共通点ばかりが眼についてしまう。」のくだりに妙に納得。この本から「ヒロヤマガタ問題」の存在を知り、自分の中の曖昧模糊、うやむやな部分が何となく整理できた。

2013/08/05

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