大野一雄稽古の言葉
大野一雄稽古の言葉 / 感想・レビュー
兎乃
座禅、これは目を閉じずに薄く細く開いているのが正しい。目を閉じて心を浮か浮か漂わせること無く、現実の知覚の世界に留まり、精神を深海へ沈める。そこに幻想的な夢夢しい風景はない。暗く 冷たく 大いなる無音の深海、その底へ。大野氏の舞踏はこのようにして始まり“皮膚”となる。内と外の経路、無数の孔、内と外を護り、分け隔てる“皮膚”。クリスチャンとしての懺悔、“耐えに耐えた” 舞踏が立ち昇る。稽古場で語られる氏の言葉、それは生の涯 死者と共にある現実で育まれた。日々 読み直したい。なんと慈愛と滋養なる言葉達か。
2015/08/03
yutaro sata
「眼窩裏の火事」にて、大野さんを扱った諏訪さんの作品に衝撃を受け、府中市美術館のショップで買い求めた一冊。大野さんの、研究生に向けた促しが、私のなかにも反響し、大野さんの身体というものが、私のなかにも入ってくる。 何も、本当に何も、意図もなにもなくなるところまでいって、やらずにはいられないその塊みたいなところまで、一筋に行こうとしている、狂気と冷静の身体がそこにはある。
2023/02/09
misman
独特の言葉の数々。全てが詩的であり、肉体を持っている”言葉”でした。 私は大野さんをエレガントだと思う。
2015/09/20
doni
表現の世界に身を置く者としては、心の奥の小部屋に大切に大切にしまっておきたい言葉で溢れている。それでいて体内で絶えずこだまするほど染みわたらせたい言葉たち。
2012/06/30
misman
言葉を追うほどに、その言葉が踊っていると感じる
2020/03/14
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