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浄心への道順―瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話―

浄心への道順―瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話―

浄心への道順―瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話―

作家
アルボムッレ・スマナサーラ
名越康文
出版社
サンガ
発売日
2016-07-26
ISBN
9784865640571
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浄心への道順―瞑想と覚りをめぐる初期仏教長老と精神科医の対話― / 感想・レビュー

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Nobuko

名越先生が熱心に瞑想を勧められていることは存じ上げていましたが、この本はさらに斜め上をいっている感じ。買ってから寝かしておいたけれど、やっぱりわからなかった。修行している人同士の理解なのかな。いつもの名越先生のストンと腑に落ちる明確なお話ではなかった。瞑想の時点でつまづいている私では仕方がないかも。

2023/07/20

チエコ

アンリミテッドで読んだ。自分が得しないとやる気がしないというのは精神病らしい…

2017/06/11

やまえつ

テーラワーダ仏教のスマナサーラ長老と精神科医の名越先生の3つの対談。1つ目の対談は、瞑想という名前が偏見を持って受け取られるという話から、ディシプリンという耳慣れない言葉の話になる。瞑想ではなくディシプリンと呼ぶべきだということらしい。2つ目の対談は、西洋の科学の仮説を立てて実証するというやり方ではなく、お釈迦様は仮説なくただ観察することによって、覚ったという話になるほどなと思った。3つ目の対談は、何かの役に立つことをすることが大切ということが印象に残った。

2017/01/25

nizimasu

名越先生が結構瞑想にハマっているのは存じ上げていましたがここまでとは。前文に本人が自分の瞑想体験みたいなものをそのままスマナサーラ師にぶつけてしまっていると吐露していましたがそれも納得。ある種の共通の瞑想体験を持つもの同士の対談なので言葉にするとちょっとわかりにくい部分もある。しかしそれ以上に感じるのはベースにある仏教の哲学的な部分で上座仏教の神の否定や死生観、宇宙観や締念などは宗教のそれよりも哲学のそれに近いのだなというのがわかる。歩き瞑想はそこには実践ありきがある。外山滋比古先生の散歩の効用を思い出す

2016/08/01

ノllロ

①本質的なポイントは〈discipline〉だと。辞書では訓練・修養・(鍛練で得た)抑制・自制(心)などと。外科医の手術・飛行機の操縦などの精密な段取りは〈discipline〉で成り立つ。言語を使う・文字を書く・絵を描く技術の習得と同様、思考・判断・頭の働きについても〈discipline〉が必要だと。ヴィパッサナーの「実況中継」を始めると〈discipline〉が育つ。自己制御・暴れる心の調教が進む。〈discipline〉の出現で智慧が現れる。それは人生の土台・基礎事項・スタートラインたるべきだと。

2021/04/12

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