経験としての死 (死の講義 1)
経験としての死 (死の講義 1) / 感想・レビュー
寛生
【図書館】著者が芹沢であることを読了後気づき、何とも彼らしい構成だと想った。1、2講のアプローチがいい。全体的に一冊の本として、その議論が一貫してはいないのが残念。時枝誠記の「国語学原論」をベースに「私」という主体について考察し、死を《体験》と《経験》として考えたりする試みは面白いが、正誤表をあとから付記しているのは著者自身が混乱しているからだと想う。ウラジーミル・ジャンケレヴィッチの「死」を引用して、死について考えてもいるが、もう少し時間をかけて丁寧に書き連ねていただきたかったというのが正直な感想。
2015/04/06
A
「私の死」自体は経験不可能なため対象化できないが、「死にゆく私」は対象化可能であり、本書はそのための手がかりを与えてくれる。内容的には人称態の死や吉本隆明の『共同幻想論』、キューブラー・ロスの『死の五段階説』を軸として、「死」と「死にゆくこと」について丁寧に分かりやすく論じられている。東日本大震災での犠牲者、毎年3万人を超える自殺者、高齢化社会におけるお年寄りの死など、死というものが身近に感じられる昨今。これを機会に二人称や三人称の死だけでなく、「死にゆく私」と向かい合うことも大切なのかもしれない。
2011/08/13
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