西田幾多郎善の研究: 実在と自己 (能動知性 5)
西田幾多郎善の研究: 実在と自己 (能動知性 5) / 感想・レビュー
ヨミナガラ
“もし今、『善の研究』の「自己は意識の統一作用以外のものではない」といった記述を読んで即、「直接経験があり、そこに統一作用がゆるやかに働いてさえいれば、その根本に『私』などなくてもよいということか」と誤った解釈をしてしまいそういなることこそが、現代における「自己」が普遍的に病理を抱えていることを示しているのではないだろうか。” “西田の考えた「一の統一的自己」とはかかわりを持たない新しい「私」。”“決して「正常」の失敗形態としての「病理」でもなければ,唯一無二の「現実」に対して捏造された「仮想」でもない”
2014/10/30
itosan04
これは驚いた。あの有名な西田幾太郎「善の研究」を香山リカが解説。解説というか序文みたいな一文をくっつけただけで、西田幾太郎は西田幾太郎パートで独立している。何のためにこの組み合わせになったのだろう。香山パートだけ斜め読み。この書でいくらなんでも、「善の研究」を大真面目に読みだす気にはならなかった。
2016/04/05
ねこさん
地震の影響で充分に読めず、実在を扱う第二編の途中で図書館へ返却。しかし得るものは多く、西田が様々に言葉を置き換えながら「意識があるがままの実在に到達することは不可能である。すべては意識現象であるという出発点に立て」という発見を繰り返し述べているように見えたこと、付随して「意識が個の所有物であるというのも錯覚である」という立場が印象的だった。西洋哲学的見地からすれば絶望的なことのような気もするが、そのペシミズムを楽観的に乗り越える禅的立場の優れた「緩さ」を再認識することとなった。
2011/03/18
感想・レビューをもっと見る