塚本晋也×野火
塚本晋也×野火 / 感想・レビュー
澤水月
偶然にも広島原爆忌その時間に読了。4年も前、震災と放射能不安の中COCCOを主演に迎え撮った時もだが塚本作品はいつも直截的に自身の主観反映の私映画と実感(寄稿・対談者の多くが野火を撮ると聞き一抹覚えた不安が杞憂だったというのが示唆的)。JGバラードと野火との強い関連を失念しており勉強に。中村達也起用の深い意味も。サブテキなくとも映画をコヤで体感し打ちのめされる体験を必ずさせてくれる稀有さ…単に反戦映画で括れずおかしみや極限暴力の背徳的悦楽、リリーの色気で立ち上る男色の気…娯楽も!兎に角映画多くに見てほしい
2015/08/06
ぐうぐう
前作『KOTOKO』から4年。塚本晋也のフィルムグラフィにおいて、こんなにインターバルが空くのは、めずらしい。それほどに『野火』は、完成に困難を極めた映画であり、ゆえに塚本にとってどうしても撮らざるを得ない映画でもあったのだろう。世界的に評価の高い塚本晋也をしても、出資者を見つけることができず、結果的に自主製作となった『野火』は、いかにも低予算で撮られたのがわかる。しかし、自ら主演し、カメラを回し、監督するという、塚本映画ならではのスタイルになったのは、逆に効果的だったのではないか。(つづく)
2015/08/05
itchie
完成台本を読みながら映画を思い返すと、昨年末に見た『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』とのあまりの落差に改めて気づく。なぜ戦争をしてはいけないのか? それは単に「人が死ぬから」ではない。自分が「人殺しになる」可能性もある。しかも「人殺しに”させられた”」と言い切ってしまうことはできないという恐ろしさがある。正気ではいられない、肉体と精神の限界にあっても、最後に引金を引くのは自分。「殺される」ではなく「殺す」を選んだのは自分なのだ......。『あの花が咲く丘で~』の特攻兵たちはあまりに正気だった。
2024/08/28
nori
Pinanood ko ang sine ng bersyon ni 塚本晋也 2015 at walang pagbasa ko ng libro. Sinabi ng bidahan lang ang tagalog; "Hindi ko kayong patayin". Segruo hindi marunong tagalog ang sundaro ng Japan, kahito puwede silang magi inglis nang kounti.
2018/12/11
きなこチロル
塚本監督自主映画。映画を観て感じたのは、美しい自然と無惨な人間の姿の対比があまりにも無情で戦争は愚かだと。この本にも同じようなことが書かれていてやりきれなくて信じたくないけど事実。図解や完成台本の写真、注釈も載っていて読み応えがあった。原作…大岡昇平『野火』
2017/02/02
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