デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂
デジタルネイチャー 生態系を為す汎神化した計算機による侘と寂 / 感想・レビュー
けんとまん1007
なかなかに理解できない1冊。というのは、1回だけでは、かみくだけないということ。それでも、頷ける視点がいくつもある。人は自然の一部であり、かつ、今の技術の中にも置かれている。その先にあるのは、それらが融合する方向へいくのだろうということ。ただし、それを感覚的であっても、なかなか想像できないのが、今の自分。しかし、侘と寂という言葉がでてくるとは。
2019/02/09
小木ハム
デジタルとマテリアルの境目はどんどん見分けがつかなくなっていきますよというお話。ホモデウスの『人類はいずれ神性を得ていく』とやや似た感じ。そのうち読書や映像に取って替わって脳にデバイス埋め込んでAIと同居したり、他人の知識や経験を同期する日が来るのかしら。ゲレンデを転がる雪玉よろしく技術革新は人間の学習速度を超え、何時間もかけて積み上げた知識の家をぶち壊してしまう。著者の言うように、特に日本は安定志向の弊害でモチベーション格差が顕著。『○○をやりたい』内なる心に真摯に向き合う時間が重要になる。
2020/08/24
vinlandmbit
これは一読で分かったつもりになっては駄目そうですね。。前著の「魔法の世紀」よりも本人の考えを直接文章化している分、決して理解しやすい訳では無いですが、読んだ後に、数日経ってあれってそういう事、っと日々の他の書籍やニュースなどのインプットで理解が補完されていく感覚。なんどか読み返す必要ありです。
2019/03/30
そふぃあ
「人間が想像できることは、人間が必ず実現できる」という言葉。21世紀初頭ならファンタジーだと思われたことが実現可能の範疇まで来ていることにワクワクする。だが一旦実現してしまえば、人は今まで通り利便性を享受しつつも、埋まらない格差に不満を持ち続けはするんだろう。 高齢者や欠損がある人の身体機能を補う技術が発展すれば、五体満足に有利性はなくなるというくだりで、そういえば実際に肉体を切断しいわゆる「義体」に置き換えることに抵抗があるなと思い至った。次世代の人は身体改造に対する心理的抵抗が消えているのだろうか。
2020/12/25
Tenouji
おぉ、ともすればデジタル技術に対しては、自然回帰的な懐古主義的な話しがふき上がるわけですが、落合氏は、言葉を経ないデジタル化の方向にこそ、自然の意思:全体性と個の自由の両方がある、というわけです。
2018/10/28
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