常世の舟を漕ぎて: 水俣病私史
常世の舟を漕ぎて: 水俣病私史 / 感想・レビュー
おおた
水俣病運動の先頭に立って闘争を続けた筆者が、患者申請を取り下げ、常世の舟でチッソの前に一人座る。彼の歴史と思考を語りの形式で描き出すので、縁のない熊本の言葉でもとても読みやすい。長い闘争の中で「人が人を人と思わなくなった」ことが水俣病事件を引き起こしたと結論づけ、「個と個にならない限り、本当の接点は生まれ」ないと説く。金銭的解決を徹底期に拒否し、自分の思想の支えとなっている運動を自ら外すことの怖さと大切さを身をもって体験している。こんな名著が文庫化されないどころか、入手することも困難だなんて……。
2016/04/17
hirotada_k
水俣病で当初は加害企業への補償を求める運動などを行っていた被害者が、自分の生活や舟が加害企業の生産物で囲まれていること、自分が企業の社員だったらなにか方策を取りえただろうかという疑惑から、問題となっている(制度の)根本的な面に気付き'狂い'克服する?心の変化を描いた作品。 その思索の深さ・そこから推測される苦しみにはただただ圧倒されるばかり。
2012/12/21
はぐ
6歳で父親を水俣病で亡くし、成人してからチッソや国との闘いに奔走した緒方正人さんの半生を綴ったもの。「責任をとる」とは何か。その問いが重かった。
2021/12/27
kentaro mori
父、兄弟を水俣病で亡くし、チッソへの賠償運動の先頭に立っていた著者が突如、申請を取り下げる。「チッソは私である」と。こんな人がいたのかと驚愕した。●この事件は人間の罪であり、その本質的責任は人間の存在にある。そしてこの責任が発生したのは「人が人を人と思わなくなった時」だ、と。水俣病事件史が問うていたものは何かというと、つまるところ「自分」なんですね。●俺は、この土地が選ばれたんだとさえ思っている。
2018/06/28
てるるん
深い
2009/04/06
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