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たどたどしく声に出して読む歎異抄

たどたどしく声に出して読む歎異抄

たどたどしく声に出して読む歎異抄

作家
伊藤比呂美
出版社
ぷねうま舎
発売日
2012-04-09
ISBN
9784906791002
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たどたどしく声に出して読む歎異抄 / 感想・レビュー

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nbhd

詩人が選んだ「たどたどしい」という言葉が、身体にしっくり馴染んだ。歎異抄の現代語訳にエッセイを織りこんだ本。まだ知らないことばかりだけど、親鸞さんの「たどたどしいあり方」を随所に垣間見た。たとえば『和讃』では「私は偽りだらけ」とストレートに”ダメなオレ”を表明してるし、『親鸞書簡』では齢80を過ぎてもなおこの世のアレコレに煩う自身の姿を書き残している。そして、その読者はいつも「親鸞さんを理解できないこと」に突き落とされる。「理解できない」ならば「たどたどしく声に出して読む」しかない。詩人の選択は正しい。

2016/05/01

SOHSA

《図書館本》“たどたどしく声に出して読む”というのが良い。まさにそのたどたどしい親鸞の声、唯円の声が著者伊藤比呂美の文を通して聞こえてくる。その声は優しく飾らず、それでいて確信に満ちた力強さを持って心に響いてくる。著者が詩人であるだけに本書で訳された言葉は、不思議なリズムをもって耳に踊る。文字の向こうに親鸞の姿がホログラフィーのように浮かび上がる。

2015/02/01

ネギっ子gen

表題は『歎異抄』onlyだが、実際は、正信念仏偈・和讃・書簡なども含めての現代日本語訳+“親鸞の旅”の感慨――。<訳というが、わたしにとってそれは、異質なことばを身の内に取り込み、それと同化しながらも差異を発見し、自分の声に移し替えるという作業である/業のようなので、内容なんか吟味しないでよい。興味あるのはことばだけ。ことばに惹かれたら、もう、手あたり次第、取り込みたくってたまらなくなる。わたしが興味を持ったのは、親鸞の思想ではなく、親鸞の声であった>。同感。往時の民衆は念仏僧の美声に魅了された、はず。⇒

2021/04/10

fishdeleuze

伊藤比呂美はお経を翻訳するとき、いったん原文をすべて書き写すそうだ。そうしないと「からだに入ってこないから」。そうしてからだにはいった言葉が、詩人のフィルター=からだを通して、あらためて紡がれる。言葉を移し換えるというよりは、言葉がまた生まれなおしているようだ。親鸞の声から唯円の声へ。テキストから声を聞き分け、それをまた言葉にしていく。とりわけ和讃がすばらしい。まるで本のページから光が溢れてくるような気さえした。

2016/05/09

アムリタ

此処にもシャーマンがいた。伊藤比呂美は親鸞の言葉を聞書した唯円、その向こうの親鸞の声もろとも吸い込み、飲み込んだ。それを噛み砕き消化するまでのたうちまわり、現代のことばとしてよみがえらせた。 生々しい親鸞の声がそこにある。並行して伊藤比呂美の日常が語られる。身近な者たちが死にゆく中、彼女は這いつくばるようにアメリカと日本を往復する。 親鸞も伊藤比呂美も普通じゃない。 そして、阿弥陀仏を、「むげんのひかり」さまと置き換えたとき、ぱあっと光がさしこんだという。この本にもきっとひかりがさしている。

2022/03/14

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