新写真論 スマホと顔 (ゲンロン叢書)
新写真論 スマホと顔 (ゲンロン叢書) / 感想・レビュー
はっせー
写真を撮ることが好きな人やSNSに写真をアップしている人におすすめしたい本になっている!私たちはいま写真という媒体が大きく変わろうとしている転換期にいる。その原因はスマートフォンである。スマホの普及により写真の性質や意味が変わりつつあると本書に書いてある。例えば意味。スマホ普及前はガラケーやカメラなどで写真を撮っていた。その意味としては思い出を残すことであろう。しかしスマホが普及したことによって思い出を残すというよりSNSにアップしてシェアしたいという側面が強くなってきた。学びの多い本であった!
2024/03/07
ころこ
技術が思想を追い越しているスマホの写真は、無意識の欲望に根差している。自撮りについての一連の論考は、自撮り肯定派でも否定派でも、読者の気持ちをザわつかせます。自分が撮った顔を意図通りにシェアさせる強引な政治性は「私」の吐露のようですが、私小説がそうであるように、テクノロジーによって「盛られた」自撮りは、むしろ暗黙裡の「ほんとうの顔信仰」批判だといえます。誰もが手許にある道具で、議論の間口は広い。ところが、著者の蒔いた種は、その先にお手本が無いことに気付きます。真の意味で頭を使う稀有な論考です。
2020/03/23
おっとー
スマホと自撮りの出現は視覚への意識を大きく変化させた…いや、むしろ一度はカメラによって外在化された視覚が再び人間のもとに戻ってきたのかも。スマホが出てきたことでカメラという男権的存在が中和され、誰でも難しい技術なしに写真を撮影・保存することができるようになり、自分をも撮れるようになった。ここから顔、幽霊、SNSの話など様々な視覚論に移ろいゆく。この本、表紙もどこか不思議で、本来「映え」の被写体となるべき建物にカメラを向けつつも、結局自撮りをする筆者、そしてその様子を撮る第三者…という構図がとても面白い。
2020/08/31
owlsoul
ベンヤミンはかつて「いま、ここにしかない1回性」の価値を「アウラ」と呼び、複製技術がそれを失わせるとして映画や写真について語った。現在、スマートフォンとSNSによって、写真はさならるアウラの消失にさらされているようだ。誰もが簡単に写真を撮りSNSで公開する昨今、無数に溢れた写真データはもはや撮影者の区別がつかない。そんな写真がアウラを回復するには「自撮り」によって撮影者を写し込むしかなかった。しかし、「盛る」と称して加工されるそれらの写真は、もはや現実の記録ではない。はたして、それらは「写真」なのだろうか
2022/07/02
アメヲトコ
工場萌えの仕掛け人で、ふだん建築・土木建造物を撮っている著者が、あえて写真と顔の関係について考察したもの。デジカメではなくスマホの登場がいかに人間とカメラ、写真の関係性を変えたのかが語られます。論と題してはいるものの全体的には直感的な語りが多く、地道な実証という感じはありませんが、著者の着眼点がユニークなので、読んでいて心地よい刺激があります。ガラスという素材と遠近法の関係、スマホでの撮影とスクショとの同一性の指摘などが個人的にはとくに面白かったです。
2021/04/30
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