思想地図β vol.2 震災以後
思想地図β vol.2 震災以後 / 感想・レビュー
ころこ
震災の直後に影響を受けての編集です。状況論は、こんなにも鮮度が落ちるのかと落胆しつつ読みました。執筆者の毛色も現在とは違い、ネット寄り、社会学寄りのため、執筆者の鮮度自体も落ちていて、さらに議論の質を落とす結果となっています。その中で、村上隆と猪瀬直樹と東浩紀の鼎談があります。この中で、東は、村上春樹が父との和解に拘っているが、彼の年齢であれば、父として息子との和解を書くのが自然ではないか。村上の作品には、団塊世代が成熟し損ねて、後の世代に受け渡せなかった日本社会の問題が潜在していると指摘しています。先ご
2019/07/11
白義
なんとなくあると思われていた共同幻想、自明性。そんなのは端からなく、ボクらはバラバラだったのが震災で暴露されてしまった、という諦念じみた序文から、バラバラのまま繋がる、新たな連帯の可能性を模索した良書。抽象的な言葉でも工学的な実務でもない、間から震災と日本全体を考えなおす美しい文章が並んでいる。藤村、津田、佐々木論文のように、具体的な現場への考察から新しい社会と制度を構想するもの、シンポジウムや八代論文のように新たな言葉とコミュニケーションを模索するものと多彩な文が並び、震災を考えるヒントになる
2012/01/24
Shin
東浩紀の『巻頭言』を始め、震災以来、私達が何となくキャッチフレーズ(がんばろう日本、とか)でごまかしてきた現実とどう向かい合うべきなのか、「『みんな』ではなく、お前はどうするんだ」と問い掛けられるようなテキストの数々。Vol.1は正直「趣味」の領域に近い感を受けたが、幸か不幸か震災によって思想も言論も地に足が着いたということか。問題は、その立ちすくんだ足を前へ進められるかどうかにある。自分も、思考停止していたことを猛省せねば。和合亮一さんの詩は、紙面で読むとまた心を鷲掴みされるような迫力がある。
2011/09/05
スミス市松
震災が起きたその日、私は村上春樹の『神の子どもたちはみな踊る』を読んで次のようなことを書いた。 「震災によって今ある日常すら容赦なく叩き潰されてしまったとき、私たちの中にずっと前から存在していた狡猾なメタファーとしての『地震なるもの』が顕れる。」 本書にあるのはまさにこの「地震なるもの」ではないか。しかもそれはメタファーではなく、いま起きている現実の現象ではないか。私はきっと自分が思っている以上に鎮魂の言葉、喪失を受け止める言葉を探しているのかもしれない。そしてそれは震災が起きる前からずっと、そうなのだ。
2011/09/10
Ecriture
震災以降、思想に何が出来るのかを問う。東浩紀の巻頭言はゼロ年代の論客が言祝いだ「消費の平等」、「ネット・ポップカルチャーの連帯」が震災以降存在感を失ってしまったなかで、ばらばらになった日本が再び「考える力」を取り戻す方法を模索しようと読者を(彼自身を)奮い立たせるものとなっている。続く藤村龍至、津田大介の論考は、現地から地方の声をすくい上げるジャーナリスト津田と、日本全体の作り直しという大きな視座から復興を計画する建築家藤村の対話として読むことができる。猪瀬直樹の「家長」としての日本人論も大変興味深かった
2011/09/12
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