太宰治
- 職業・肩書き
- 作家
- ふりがな
- だざい・おさむ
プロフィール
最終更新 : 2019-11-18
1909年~1948年青森県生まれ。父は源右衛門、母はタ子、第十子の六男として生まれた。本名は津島修治。
母が病弱だったため乳母や同居中の叔母などの元、県内で指折りの財産家の家で育つ。中学生時代から小説に興味を持ち始め、16歳のときに同人雑誌などに小説やエッセイ、戯曲などを発表、文学仲間と一緒に同人雑誌「蜃気楼」を創刊した。
19歳で同人雑誌「細胞文芸」を創刊し、作家として本格的に活動をスタートした。1930年に東京帝国大学の仏文科に入学するも中退。1933年に東奥日報社の「サンデー東奥」に『列車』を発表し入選、太宰治の名前で出した初めての作品となった。
1935年に同人雑誌以外で初の作品となる『逆行』を発表、第一回芥川賞の次席となった。1936年に初となる創作集で『逆行』も収録された『晩年』を刊行。同時期、急性盲腸炎をきっかけに重体となり使用した痛み止めパビナールが習慣化し中毒症状に陥る。1939年に井伏鱒二の仲介による縁談がまとまり、石原美知子と結婚した。生活が落ち着き執筆に専念、『富嶽百景』や『女生徒』、『走れメロス』など数々の佳作を発表した。
1947年、新潮社の雑誌に流行作家のきっかけとなる『斜陽』を連載。刊行されベストセラーとなり「斜陽族」という言葉も生んだ代表作となった。1948年に肺結核が悪化、『人間失格』を書き終え、『グッドバイ』の執筆などを始めたが、遺書や『グッドバイ』の校正刷りなどを残し、山崎富栄と玉川上水に入水して自殺した。『グッドバイ』は脚色なども含めて1949年に映画化された。
1992年には『走れメロス』がアニメ映画となり、2006年に『富嶽百景 遥かなる場所』、2009年に『斜陽』、2010年に『人間失格』、2013年に『女生徒・1936』など複数の映画作品がある。